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2009年に開催した「だまし絵」展は、美術の歴史における「イリュージョン」の効果に注目し、見る人の目をあざむくような技法に焦点を当てた作品の系譜を、古典的絵画から近代を経て現代美術にいたる歴史的な流れのなかで紹介する試みでした。その続編となる本展では、多岐にわたり「進化」していく現代美術の展開に重きを置き、古典的傑作を集めたプロローグに続き、現代の新しい「だまし絵」における挑戦を、視覚的詐術によるカテゴリーに分類して展観していきます。

プロローグ

「だまし絵」とは文字通り「目をだます」絵の系譜です。人間の視覚に対する科学的探求が始まったルネサンス後期のヨーロッパでは、視覚の力に挑戦するような様々な作品が登場します。ある絵の中に別の像を潜ませるダブル・イメージの傑作、アルチンボルドの《司書》や、壁のくぼみの中に置かれた事物の影に至るまで克明に描写することで、つかの間にせよ、それが「本物」の事物であるという錯覚をおこさせるトロンプ・ルイユの代表作、ピアーソンの《鷹狩道具のある壁龕》―こうした古典的巨匠たちが技巧をつくした「だまし絵」の到達点を示す作例は、眼の先入観を打ち破り、観る者を仮象の世界の裏側へと誘っていきます。

  • ジュゼッペ・アルチンボルド 《司書》

    1566年頃 油彩・キャンヴァス スコークロステル城(スウェーデン)Photo: Samuel Uhrdin

    本になってしまった「本の虫」は実在の博学な人物を茶化したもの。ひげは埃はたき、指は本のしおりだ。

  • クリストフェル・ピアーソン《鷹狩道具のある壁龕》

    1660年代(推定) 油彩・キャンヴァス
    ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵 Courtesy National Gallery of Art, Washington

    ヨーロッパの古い家の壁にこの絵があったらリアルかもしれない。ポイントは実物大で描かれていること。

トロンプ・ルイユ

「本物と見まごう」とは、古来より画家の優れた描写力への賞賛のことばですが、イメージが氾濫し、その在り方が驚くほど多様化する20世紀には、「リアリティ」に対する根本的な問いこそが、再び制作の大きな原動力となります。日常目にするモチーフを本物そっくりに再現するカズ・オオシロは、巧妙に観る者の目を欺いた後に、その「真の姿」に気づかせるタネあかしも忘れません。床に無造作に置かれたアンプは表面だけが精巧に描かれたもので、後ろに回るとそれが木枠に貼られたキャンヴァスにすぎないという事実をさらけ出しています。名画の裏面を再現するというユニークなアイディアで観る者の眼を欺く、ヴィック・ムニーズの「裏面」シリーズは、等身大ですべてを忠実に再現することで、まるで本物の絵画が後ろ向きに置かれているかのような錯覚を引き起こし、人々の先入観を打ち破ります。

  • カズ・オオシロ 《フェンダー・デラックス・リヴァーブ・アンプ 2》

    2009年 アクリル絵具、パテ・木枠に張ったキャンヴァス Courtesy the artist and Galerie Perrotin

    現代のアメリカを強く感じさせる音楽機材。裏を見るとキャンヴァスに描かれていると分かるものの、実は表にも手書きの味が残る。

  • ヴィック・ムニーズ《「裏面」シリーズ、星月夜》

    2008年ミクストメディア 作家蔵 ©Vik Muniz Courtesy Sikkema, Jenkins & Co.

    絵画作品の来歴や真贋を確かめるのに、よく裏面を見るが、この作品は裏面しかない。しかもゴッホの名作だ。

シャドウ、シルエット&ミラーイメージ

美術において「影」や「鏡」は、物体を本物らしく見せるためのいわば引き立て役として取り入れられ、虚構空間と現実世界を巧妙に結びつけるモチーフとして用いられてきました。20世紀後半になると、実体に付随するべきこれらのモチーフを主役に据え、実体から切り離すことで、不在を表現したり、虚像と実体の間の固定観念を打ち破る作品が生まれてきます。福田繁雄の《アンダーグランド・ピアノ》では、床に置かれた得体の知れない黒い物体が、鏡像の中ではじめて「正しいかたち」として浮かび上がってきます。一方、マルクス・レーツの《姿見Ⅱ》では、壁につけられた銅線が鏡の中では、人物の横顔のシルエットに見事に変貌を遂げています。

  • 福田繁雄 《アンダーグランド・ピアノ》

    1984年 木、金属、アクリル 広島市現代美術館

    左上の鏡に映ったピアノは、手前の黒い断片からその鏡の中だけで再現されたもの。存在しないピアノがそこにある不思議。

オプ・イリュージョン

1960年代半ば頃、オプ・アートと総称される、幾何学的なかたちや色のシステマティックな配置によって錯視効果を引き起こす抽象絵画が注目を集めました。ヴィクトル・ヴァザルリはその代表的な作家の1人で、反復するパターンと色彩のグラデーションによって、脳に画面の上での凹凸を知覚させています。こうした視覚や脳に直接働きかけるイリュージョンヘの高い関心は、イギリスのアーティスト、パトリック・ヒューズの作品にも顕著に見られます。「リヴァースペクティヴ」(「リヴァース(反転)」と「パースペクティヴ(遠近法)」の合成語)と呼ばれるシリーズは、描かれた情景の遠近と画面の物理的な凹凸とを逆転させることで、観る者が左右に動くにつれてイメージが動き出す(ように見える)という驚くべき仕掛けになっています。

  • パトリック・ヒューズ 《広重とヒューズ》

    2013年 油彩・組立ボード 作家蔵 ©Patrick Hughes, Courtesy Flowers Gallery, London/New York

    凹凸のある立体絵画。ただし遠景が壁面から前方に突出している逆遠近法。観る側が動くと絵は異常な動きを見せる。

アナモルフォーズ・メタモルフォーズ

遠近法の技法を「逆利用」してイメージを法則的に歪め、一定の視点から見ることで正像を浮かび上がらせるアナモルフォーズの手法。しかしフォト・ショップなどによりイメージの自在な変形が可能な現在においては、「正像」自体の意味が揺らぎだします。エヴァン・ペニーは、極端に引き伸ばしたり、傾斜させたりして歪めた人体を彫刻で制作し、それを現実空間の中に置くことで、我々がイメージの世界でしか起こりえないと思っている出来事を現実の世界に現出させてみせるのです。
 一方、距離や見方を変えることでひとつのイメージを別のイメージへと変貌させるのがメタモルフォーズの手法です。シュルレアリストの画家、マグリットの手にかかると、見慣れた個々の事象が、通常とは異なるやり方で結びつけられ、現実にはあり得ない情景が生み出されます。靴と足という似て非なるものを巧みに結びつけた《赤いモデル》では、類似性により両者の異質さを際立たせることで、あたかもイメージ自体が目の前で変容していくような錯覚が引き起こされます。シュルレアリストの画家ダリの素描に基づき、写真家ハルスマンが現実のモデルを用いて綿密に再現し撮影した《官能的な死》、ヴィック・ムニーズがおもちゃの兵隊を実際に並べて作り上げた自画像のインスタレーションを写真に撮った《自画像 悲しすぎて話せない バス・ヤン・アデルによる》は、いずれもダブル・イメージの手法を用いて異なるふたつのイメージを巧みに結びつけることに成功しています。

  • エヴァン・ペニー
    《引き伸ばされた女 #2》

    2011年 シリコン、顔料、毛、アルミニウム 作家蔵 ©Evan Penny, Courtesy Sperone Westwater, New York

    高さ3メートルを超える彫刻作品。非現実的大きさと圧倒的な存在感。会場では見上げることで正像を結ぶだろうか。

  • ルネ・マグリット
    《赤いモデル》

    1953年 油彩・キャンヴァス BNPパリバ・フォルティス銀行 Photo: Serge Verheylewegen ©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2014 E1043

    描かれているのは足の形をした靴のはずであるが、そのリアルさに、靴になった足のことを考えてしまう。

  • マウリッツ・コルネリス・エッシャー
    《物見の塔》

    1958年、リトグラフ・紙 横浜美術館 ©2014 The M.C. Escher Company-The Netherlands. All rights reserved. www.mcescher.com

    実際にはありえない不思議な立体構造。注意深く見なければ見過ごしてしまうほど巧妙に演出されている。

  • サルバドール・ダリ
    《海辺に出現した顔と果物鉢の幻影》

    1938年 油彩・キャンヴァス ワズワース・アテネウム美術館、ハートフォード(コネチカット州) ©Photo SCALA, Florence 2014, Salvador Dali, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2014 E1099

    画面中心の脚付き果物皿は人の顔を浮き上がらせ、右上に目をやると犬の横顔、さらには…、いくつものイメージが交錯。